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令和7年5月10日~12日 楠木正成公の足跡をたどる旅 SERVICE&PRODUCTS

令和7年5月10日から2泊3日の日程で一般社団法人皇統を守る会(会長 葛城奈海)による楠公崇敬の足跡を辿るツアーに参加しました。
楠木正成公「忠君愛国」滅私奉公を基に皇室を守りぬいた
江戸末期から大東亜戦争が終わるまでの約100年日本最大の英雄でした。日本が明治維新後独立を守り日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦に勝利し大国の仲間入りをし、大東亜戦争によって有色人種を白人の支配から解放した。 その言動力となったのは楠公精神といっても過言ではありません戦後楠公精神は語られることなく楠木正成、正行親子の活躍も語られることはなくなりました。 戦後日本の体たらくは楠公精神を失ったことにあると思い、楠公精神をもう一度学ぶために今回の研修ツアーに参加しました。

楠木正成公の足跡をたどる旅(1日目)

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令和7年5月10日から2泊3日の日程で、一般社団法人皇統を守る会(会長葛城奈海氏)による楠木正成公崇敬の足跡を辿るツアーが開催されました。ツアー解説者は日本経済大学準教授久野潤先生。私は皇統守る会関西事務局長として参加しました. 今回のテーマの「楠木正成公の足跡を辿る」の楠木正成公は、鎌倉時代後期、後醍醐天皇の討幕の挙兵に呼応し天皇 親政を目指し挙兵した武将ですが、逆賊足利尊氏の裏切りと反抗により、湊川の戦いで敗れ自決しました。 「忠君愛国」「滅私奉公」の楠木正成公(大楠公)は、幕末から大東亜戦争が終わるまでの約100年間日本最大の英雄でした。日本が明治維新後独立を守り、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦に勝利し、大国の仲間入りをし、大東亜戦争によって有色人種を白人の支配から解放したその原動力となったのは、楠公精神と言っても過言ではない. 戦後、楠公精神は語られることなく、楠木正成、楠木正行親子の活躍も、教育の場で取り上げられることはなくなった。戦後、日本の今に至る低たらくは楠公精神と思い、楠公精神をもう一度学ぶために、今回の研修ツアーに参加した. 最初に訪れたのは、千早赤阪村にある建水分(たけみくまり)神社。建水分神社は、楠木一族の氏神であり、天御中主神を祀る。境内には楠木正成公を祀る摂社南木(なぎ)神社も鎮座する。岡山宮司斎主のもと正式参拝した。 に訪れたのは、楠公誕生地。千早赤阪村にある楠木正成誕生の地には、明治8年大久保利通が楠公遺跡巡りした際に建立した石碑が立つ。

千早神社 観心寺

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千早神社 観心寺
千早赤阪村の千早城跡に立つ千早神社。20分程度急な階段を汗だくで登る。守りは硬く、攻めるのが難しい地形だ。千早城は、楠木勢わずか1000人の手勢で、数万の鎌倉幕府軍の大群と戦って敗れなかった。落ちない城として有名で、お守りは受験生に人気がある。 観心寺は楠木一族の菩提寺で、正成が少年時代8歳から15歳まで学問を収めた。境内奥には楠木正成公の首塚がある。湊川の戦いに敗れ自害した正成の首は、京都の六条河原で晒された後、足利尊氏の命で観心寺に届けられ、境内の首塚で祀られた。 境内には、後醍醐天皇の 第七皇子である後村上天皇陵がある。駐車場には、楠木正成公の立派な銅像が立っている。

竹内久美子先生・講話

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今回の宿泊先は東大阪市にある石切温泉ホテルセイリュウ夜の食事の前に、最近話題の「皇室論」を出版された、竹内久美子先生の講話を拝聴する。 皇室の消滅を企む中国共産党や国内の左翼勢力の活動により皇統は風前の灯だ。皇室の危機を正確に理解し、対策を考え行動することが皇室を守ることにつながる。 竹内先生からツアー参加者全員にサイン入り「皇室論」を頂いた。しっかりと拝読する。ホテルからの夕日は素晴らしかった。

楠木正成公の足跡をたどる旅(2日目)

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四條畷神社 石清水八幡宮
四條畷神社 石清水八幡宮四條畷(しじょうなわて)神社は、楠木正成公の長男、楠正行公(小楠公)を始め、四條畷の戦いで戦死した25柱を祀る。 正成自決後、長男の楠木正行公が、その意思を継ぎ正統な皇統を守るために、逆賊足利尊氏に戦いを挑む。楠木正行公が、高師直率いる北朝軍を迎撃した四條畷の合戦は、6万騎の北朝軍に対して、正行公の手勢は、3000騎。正行は奮戦するも、最後は父正成と同じように、弟の正時と刺し違え自害する。23歳だった。 四條畷神社は楠木正行公を御祭神として明治23年創建された。石清水八幡宮には建武元年(1334年)に楠木正成公が奉納した楠がある。樹齢は700年余りで、幹が太く四方に大きく枝を伸ばす大変立派な楠である。まさに大楠公御手植の楠にふさわしい風格を持っています。 石清水八幡宮は、日本の3大八幡宮の1つであり、応神天皇、神功皇后、比売大神を御祭神とする。皇室の弥栄を祈り、正式参拝しました。

桜井の駅 矢納神社

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桜井の駅 矢納神社
楠木正成公は、決戦の地湊川に向かう前に、11歳の嫡男正行を桜井の駅(大阪府三島郡島本町)に呼び寄せ、自分は戦って死ぬが、父が死んだ後、必ず足利尊氏の天下になる。 正行は父の意思をついで今から故郷の河内に帰り、父に代わって天皇を助け、逆賊と戦うようにと諭して河内に返した(桜井の別れ)。 桜井の駅には正成、正行親子の石像があり、近衛文麿元首相の筆跡で「滅私奉公」と刻まれている。また乃木希典陸軍大将、東郷平八郎元帥の揮毫による巨大な石碑が今も立っており、明治以降の楠木正成公が日本国民にいかに尊敬されていたかがわかる。 近くに矢納神社(八幡神社)がある。小さな祠が残るのみだが、桜井の別れのあと楠木正成か菊水の旗と矢を納めたと伝わる神社。ちょうど島本町役場の裏にある。島本町のシンボルマークは菊水の紋だ。

西葛城神社(楠神社)

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西葛城神社(楠神社)
研修旅行の3日目は大阪府貝塚市木積にある西葛城神社、別名を楠神社に正式参拝する。 楠正成が、湊川で戦死した際、この地の豪族松浦氏が、楠正成の死を悼み楠神社を設立したと伝えられる。 西葛城神社の宮司は吉澤正喜氏。宮司は日本の歴史は司馬遼太郎とNHKが作ったフィクションときっぱり!実に個性的な宮司様でした。

陸上自衛隊信太山駐屯地

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陸上自衛隊信太山駐屯地を表敬訪問
信太山駐屯地の第37普通科連隊は、大楠公の旗印である菊水紋をシンボルマークとし、菊水連隊と呼ばれ、旧陸軍の歩兵第37連隊を受け継ぐ。 河内を含む大阪府南部の出身者で構成された旧陸軍歩兵第37連隊は、日露戦争の奉天会戦の後、奉天城に1番乗りした勇猛果敢な連隊として知られる。 当日第37普通科連隊長伊藤駐屯地指令と懇談できた。その後駐屯地資料館集史館を見学。菊水の紋、大楠公、小楠公の木造などが安置されている。 6月1日に68周年記念式典が開催されます。

湊川神社

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湊川神社
研修旅行の最後を締め括るのは湊川神社。 延元元年(1336年) 5月。摂津国湊川に足利軍50万騎迫る中対する官軍は5万騎迎え撃つ。その中に700余騎の楠木正成軍が会下山(えげやま)に布陣する。5月25日火蓋は切って落とされた。敵の大将足利直義を狙い奮戦するが、衆寡敵せず、6時間の激闘の中16度の突撃を敢行するがついに味方は73人まで減り、最後は弟正季と刺し違えついに楠木正成公は自決する。その時に弟正季の言葉から生まれた「七生滅族」を残した。湊川神社は明治5年に明治天皇より「神号」が贈られ創建されたが、江戸時代楠木正成墓所は水戸光圀により整備されており、幕末から明治維新にかけて、多くの勤皇の志士たちの精神的支柱となった。墓所を訪れた幕末の志士たちには、吉田松陰、高杉晋作、久坂玄瑞、坂本龍馬、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文など、錚々たる方々が参拝している。 湊川神社を正式参拝した後 Sayaさんが君が代独唱され透き通る声が堂内に響いた。北西にある楠木正成公が弟正季公と自害された地(殉節の地)を参拝し、最後に楠木正成公の墓所を参拝し、全員で聖寿万歳を三唱して締めくくった。 日本は建国以来国が滅びたことがない。それは忠臣が国難の時に我が国を命がけで守ってきたからだ。その忠臣の第一が楠木正成公と国民揃って崇敬し、楠公精神で国難に打ち勝ってきた。現在は令和の国難の時代。国の内外で奸賊が跳梁跋扈し日本を滅ぼそうとしている。葛城奈海会長は日本を守ることは皇室を守ることだと言い切る。我々は今こそ楠公精神を学び直し、令和の国難に備えなければならない。そのことを心に強く刻んだ2泊3日の研修旅行だった。天皇陛下万歳。


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